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「仕事の再開は子どもが中学を卒業してからにして」夫に言われた日


この6月で創業してから丸5年がたちます。出産を機に専業主婦として家庭に入って子どもと向き合ってきた時期から今日まで、どのように仕事をしてきたのか、どんな考えで何をしたのか、書いておこうと思います。これからの人の参考になれば幸いです。

2019年4月29日付朝日新聞奈良版に「「家にいて」夫の言葉、途方に暮れた 奮起した専業主婦」という記事を掲載いただきました。
●朝日新聞ネット版
https://digital.asahi.com/articles/ASM4S43PQM4SPOMB009.html?iref=com_myk_p001_th001

「マタニティブルー」という言葉も知らなかった

阪神淡路大震災の年の3月に結婚。それまで勤めていた会社は寿退社が当たり前という風潮の中、なんの疑問も持たずに仕事をやめました。
夫の実家に同居をすることになったとき、夫からは「仕事するの好きやろ?同居していたらおかんたちの支援が受けられるから。同居をやめたくなったらやめたらいいし。」との言葉になんの疑問も持たずに同居。

今では、本物の親子以上に仲良しですが、似たもの嫁姑で、よくバトってました(苦笑)

その後、夫の仕事先が遠いことなどいろいろあって、同居を解消。義父母もこころよく送り出してくれました。

結婚後、大阪の知り合いの会社で営業の仕事をしていたのですが、結婚生活を送りながら仕事をするには、通勤がネックとなり、奈良の会社で派遣社員として働くことに。
2年ほど働いたあと、出産を機に退職、専業主婦になりました。

はじめての子育ては、わからないことばかりで、息子が起きている時は、なんで泣いているのかわからず、ただひたすら立って揺すっていました。
寝たら本当に寝ているだけなのか、気づかないうちに死んでいないか心配で、また眠れない。

今思えば、マタニティブルーだったんでしょう。19年前はまだ、マタニティブルーなんて言葉は浸透していませんでした。

子どもが1歳になる前ぐらいです。新聞の中に登場する
「私、働きたいんだけど」
のセリフを言ったのは。
「子どもが中学を卒業するまでは、家にいてほしい」
と言われて、あと、15年も。。。。。
となったことは今でも鮮明に覚えいています。

それから間もなく次男の妊娠がわかり、怒涛の育児ライフがはじまり、生育歴に問題がいろいろあったので、
「この状況で働くなんて無理」
と、働くことを諦めてしまいました。

今の自分が、昔の自分にアドバイスをするなら
「保育園に入れたら?一人で抱え込まずに、いろいろな人に助けてもらいながら育児することが大事だよ。」
かな。

そのあと、長男の行動が理解できずに、自分を責め、自己肯定感が下がり、ついには子どもに手をあげるようになり、虐待のニュースを見ながら「つぎは私だ。。。」と思うようになっていったのです。

自分を認めてくれる場所が欲しかった

子育てサークルに参加したのは、子どもでなくて、自分の友だちが欲しかったから。そこで、素敵な出会いがあって、そこから子育て支援のボランティアにのめり込むようになっていきました。

自分を認めてくれる場所がほしかったんだと思います。
子育て支援の現場では、認めてくれる温かい人たちがたくさんいました。
素敵な先輩女性との出会い、語らいの場は、私の苦しかった子育て生活に張り合いをくれました。

赤ちゃんがいても、やろうと思えばできる!と思ったのもこの頃。
自分のように子育てが苦しいと思った人に「いろいろな人との出会いの場」「人と繋がる場」「何かがおきる場」を作りたいと思えたのは、自分がたくさんの人に支えてもらったから。

一方で、子育て支援の現場で支援者の高齢化や財源不足による支援の打ち切りというものも見てきました。

女性の支援は、子どもの成長や家族との関係、自分自身の心のステップアップが必要で、1年などの短期でできるものではない。長期の支援を行うには、「自立した経営で女性支援ができる仕組み」が必要だと感じたのです。

自立した経営を模索。出した答えは・・・

自立した経営とは、自分でお金を稼ぐ方法。
自分の持っているものを棚卸ししてみると「ライター経験」「Webデザイナーとしての知識」「ファシリテーターとしての経験」がありました。
また、コワーキングスペース、ソーシャルビジネス、フューチャーセッションなど、社会課題をテーマに事業をおこなっている前例が東京で出始めた頃でした。

奈良県商工会連合会の柏原さんに夜な夜な事業計画を送りつけては、ダメ出しされ、修正していました。今考えると、とても失礼なことをしていたのですが、柏原さんは、本当に親身になって見てくださいました。

最終的に女性の起業支援を行う民間施設ということでGO。
・赤ちゃんがいても学べる、子どもがいても仕事ができるキッズスペース付コワーキングスペース
・女性が安心して借りれるシェアオフィス
・「働く」をキーワードに様々な講座の開催
・ライター、Webデザイナー経験をいかしたデザイン事業請負
が事業となり、2014年6月1日、WFCのオープンとなりました。

今年で5年目。
2019年は6月13日に創業祭をWFCで行います。
平成の終わる日に、記事を掲載いただくことで、あらためて原点回帰を思うことができました。

朝日新聞記者の筒井様、本当にありがとうございました。感謝します。

この記事の投稿者

栗本 恭子

代表取締役

栗本 恭子

フリーライター。
ウェブデザイナー。
なら子育てネットワーク元代表 現事務局長。
NPO法人パパちから応援隊理事。
1970 年東京生まれ。父親の転勤で幼少は静岡で育ち、短大入学時に家族で奈良在住に。卒業後生命保険会社の営業職に従事。結婚と同時に転職し、営業、事務の仕事を経て出産を機に退職、専業主婦に。長男を出産後、子育てサークルの運営に関わり、奈良市内の子育てサークルをつなぐ「なら子育てネットワーク」立上げメンバーとしてサークル支援に奔走。
同時にフリーライターとして在宅でテレワークを行う。リーマンショック後、仕事がなくなり専門学校に入り直す。卒業後Web デザイナーとして活動を始める。2014 年6 月女性起業支援・子育て女性支援を行う株式会社Women’sFuture Center を設立。JR 奈良駅徒歩2 分のところでキッズスペース付コワーキングスペースを運営。女性ネットワークを作り現在400 人以上の会員を要す。
2016 年女性起業家応援プロジェクトLED 関西。
ファイナリスト。3 児の母。

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