デザインをするスポーツウーマン!スポーツするデザイナー!松田真樹さん〜スポーツに関わる人たちの強力な助っ人!競技の特色を捉えたデザインが好評!
デザインをするスポーツウーマン!スポーツするデザイナー!スポーツに関わる人たちの強力な助っ人!競技の特色を捉えたデザインが好評!
2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
真樹さんとはWFC周年パーティーで初めて会った。ちょっぴりシャイな表情で“スポーツをする人たちのためのデザインをしている、自分もスポーツをしていた”と自己紹介をしてくれた真樹さん。どんなスポーツをしてきたんだろう?今度会ったら聞いてみよう、と思っていた。
第9回 グラフィックデザイナー 松田真樹さん
さっそく、スポーツとの出会いの頃から話をスタート!
体操との出会い
真樹さんが小学校3年生の時だ。目の前で6年生の男の子がバク転をした!「かっこいい!私もバク転がしたい!」 すぐに電話帳で体操教室を探し、電話した!その体操教室は中学校三年生の頃まで通うことになる。教室では平均台・マット運動・跳馬・鉄棒などを練習した。憧れのバク転ができたのは6年生の時だそうだ。中学には体操部がなかったため、美術部に入部。絵を描くことも好きだった。
高校生になった。やはり体操部はなかった。体操ができるところを自分で探した。高校生が通える体操教室はなかったが、交渉して受け入れてもらい、週に5回、練習に打ち込んだ。
3年後の進路に迷いはなかった。大阪体育大学に進学。体操競技部に入部。ようやく思いっきり体操に打ち込める環境になった。非常に厳しい監督のもと、4年間体操に集中した。
“体重管理のできない者はレギュラーにはさせない!”というのが監督の信念だった。真樹さんはストイックな生活を送った。お菓子もほとんど食べない、油物も食べない、ササミなど低脂肪で高タンパクの食材を選んでいた。当時の体脂肪率は11パーセント。トレーニングに打ち込む姿を監督は高く評価した。レギュラーに抜擢され、団体メンバーの一員となったのだ。「自分が認められた!実力ではなく、体操に向き合う姿勢を監督が認めてくれた。」競技生活の中で1番嬉しかった瞬間だった、とインタビュー中も当時を思い出し目を潤ませていた。
真樹さんのご両親も大変厳しかったんだそうだ。門限もあり、お友達と自由に遊べないこともあった。だが、真樹さんが体操をすることに対しては、全力で応援し、見守ってくれて、経済的にもサポートしてくれた。「両親にはただただ感謝しかない。」と真樹さんは振り返る。
進路に悩みデザインスクールへ
そして大学卒業後の進路を決める時期がきた。体操はやりきった、と心の中で達成感を味わっていた真樹さん。指導者には自分は向かないと感じていた。子どもたちを引っ張っていく力がないと思っていたんだそう。
では何をするのか・・・。もともと絵を描くのが好きで中学時代には美術部にもいたほどだ。絵を使ってスポーツに関わることはできないのか、と考え、河原デザインスクールに通うことにした。
学費は、所属していた体操教室で指導したり、ジムでインストラクターのアルバイトをしながら払った。スクールではグラフィックや、イラストレーター・フォトショップなどを学び、ひたすら筆の使い方を練習した。
専門学校を終えるころ、また真樹さんは悩む。学費を払うためにしていたジムのインストラクターに若干の魅力を感じていたからだ。そのため、卒業後しばらくはアルバイトをしながら、イラストを描いて過ごしていた。
やがて、やっぱりイラストレーターとしてやっていきたいと思い始めた頃、ある求人を見つけ応募、見事採用となった。就業先は“スポーツタカハシの企画部”だ。
本店・ビッグステップ店の店内のポップ作り、雑誌広告のレイアウト、オリジナル商品のデザインコンペ・・・まさにやりたかったことを仕事とし、毎日が楽しく過ぎていった。
就職、結婚、出産
ご主人とは職場恋愛だそうだ。冬場の忙しい時期に売り場のヘルプにきていたご主人と出会った。職場の方々との飲み会・スキー・スノボなどで会うことも多く、話をするようになっていったんだそうだ。
ご主人は音楽活動をしており、バンドでベースを弾いていた。音楽に全く縁のなかった真樹さん、ご主人に「聴きにいきたいです〜。」と、ライブへ。そんなことが何度かあり、付き合うようになったんだそうだ。真樹さん27歳、ご主人が30歳の頃だ。ご主人の自由なところ、真樹さんを束縛しようとしないところに惹かれた。
そんなある日!思いがけず子どもに恵まれた!すぐに結婚しようということになり、会社に相談したが、当時は“妊娠すれば、即、退職”が当然という時代。なんとか続けたいと願ったが叶わなかった。
2002年2月22日結婚。そして真樹さんは生駒市民に。まもなく長男が誕生。その後2008年には長女も誕生した。
現在の仕事・スポーツがいつもそばに
子育てをしながら、奈良の雑誌“ぱーぷる”でイラストレーターとして復職。もっとデザインの仕事をしたいと思っている中、トロフィや盾、賞状などの記念品を作る会社の在宅ワークをするようになった。その中に、いまの仕事にもつながるユニフォーム型のキーホルダーのデザインがあった。
5年ほど前、息子さんが所属するサッカーチームのユニフォーム型のキーホルダーをボランティアでデザインした。これを個人で事業としてできないだろうかと考え、生駒市の起業セミナーに参加、WFCとの出会いもこの頃だ。WFCの所蔵デザイナーとして、奈良のバレーボールチーム“奈良ドリーマーズ”のロゴ作成を担当した。
現在、真樹さんはスポーツをしている人々のための販促グッズ、スポーツイベントの記念品作り、バナー制作など、スポーツに関わる人たちの活動の中でデザインが必要なもの、イラストが必要なものを請け負っている。
自分も競技人生を送ってきた経験から、スポーツをしている人たちの思いは共感できる、どこをアピールしていけばいいのかがわかる。まさにスポーツをしている顧客にとっては“痒いところに手がとどくデザイナー”なのだ。
真樹さんは、今も生活の中で様々なスポーツを楽しんでいる。“生駒10キロを走る会”に所属し、走っている。この冬、奈良マラソン10キロにチャレンジする。大学の卒業旅行で仲間達とホノルルマラソンに参加して以来、ママになってからはマラソンにチャレンジするのはほぼ初めてなんだとか。“30代で遊ぶ会”では、バドミントンを。また小学生のお嬢さんとバスケットボールもしているそうだ。
他にもいろいろな競技を観戦したり、実際にやってみたり、今もスポーツは常に真樹さんのそばにある。体力は誰にも負けない。こうしてスポーツに携わる人たちの感覚に触れながら、それをデザインに活かす、それが真樹さんスタイルだ。
真樹さんは、スポーツ選手が現役を引退した後の、いわゆるセカンドキャリアを応援したいという夢も持っている。スポーツを中心にネットワークを広げ、強化していくことで、スポーツをしてきた人たちの次なるステップへの橋渡しができるのではないかと考えているのだ。一人のスポーツ選手を現役から見ていれば、その人のプレーでその人の特色を感じることができる、そうすればセカンドキャリアを見つけていくヒントも見つけやすくなる。トレーナーや、コーチとしての雇用にも結びつけやすいのではないか、と。そうして稼げるスポーツ業界の構築に貢献したい、そう真樹さんは語った。
オーダーメイドで作る。スポーツをする人応援グッズ専門店 https://makkiedropsdesign-sobani.shop/
Facebook https://www.facebook.com/makkiedrops/
池内後記
わずか小学校三年生で体操教室を自分で探してきた熱意、行動力には驚いた。だが、その強い思いが、大学時代のストイックさにも繋がっていったのかもしれない。進路に悩んだときも、とりあえず何でもいいからするのではなく、自分で納得しなければ前に進まない強さを持つ真樹さん。“時を待つ”というのだろうか。仕事でも彼女が自分らしく輝ける大きなチャンスを待っている。焦らず待っている。その”時”がきたら、間違いなく誰よりも早くスタートダッシュを切るだろう。