チョークアートサインライター・POP広告クリエーター〜豊田うららさん〜看板はお店の顔!POPはしゃべらぬ販売員!手描きを活かして商売繁盛!
チョークアートサインライター・POP広告クリエーター〜看板はお店の顔!POPはしゃべらぬ販売員!手描きを活かして商売繁盛!
2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
初めてお会いするうららさん。「よろしくお願いします〜!」とうららさんが登場。わぁ、なんて良い声の持ち主なんだ!それが第一印象。
うらら、というお名前は大の宝塚ファンだったお母様が名付けたお名前なんだそう。お母様のことをお聞きすると・・・なんと声優さんだったと!そしてさらに、お父様はアナウンサーだったと! 良い声は遺伝?
第13回 チョークアートサインライター・POP広告クリエーター 豊田うららさん
民放テレビ局のアナウンサーだったというお父様と、ラジオドラマの声優さんだったお母様の元に生まれたうららさん。お母様は名古屋旧家のお嬢様。戦後、これまでの価値観がすっかり変わる時代。旧体制に反発し新しい時代を好んだお母様は、今で言うところの合コンで出会ったお父様と、家を飛び出すようにして結ばれたんだそうだ。高度成長期のサラリーマン家庭の専業主婦として、お金を出して手に入れるものではなく、デザートを手作りしたり、マクラメなどの手芸を楽しんでいらしたそうだ。うららさんが手仕事を好きになったのは、お母様の影響だったかもしれないと語る。
子供の頃のうららさんはピアノやお絵かき、ガールスカウト活動に通い、スポーツも勉強も器用にこなしたという。特に水泳は得意で、バタフライで市の大会に出場したこともあったそうだ。
高校は進学校に進んだ。ところがあまりの厳しさに成績がダウン。受験した大学は全て不合格、予備校に通うことになった。女子浪人生は珍しい時代、「美大に行きたい!」と言うも、理解のあるご両親様もそこは却下!
1年後、関西の私大に合格、ここで同じクラスになったのがご主人様。お二人とも語学研究クラブで4年間活動していたそうだ。うららさんが実家のある名古屋に帰省するときは、ご主人様が車で送ってくれていた。ご主人様はご実家のご両親様とお酒・麻雀を通して良好な関係を徐々に築き、お2人は3回生の時には結婚を決意していたそうだ。
結婚し、専業主婦に(昭和から平成へ)
卒業後、1年間はバイトをしながらの優雅な花嫁修行。そして結婚。25歳で男の子を、27歳で女の子、31歳で女の子。3人のお子様に恵まれた。手芸でかわいいものを作ったり、「にこにこぷん」のテレビにどっぷりつかり、名古屋で専業主婦として過ごしていた。
ご主人から「やはり関西の地で落ち着いて働きたい。」との申し出があり、息子さんが小学校入学のタイミングで奈良へ。それからは、「怒涛の子育て!矢の如く降ってくる3人分のPTAの役!学校・スーパー・小児科・銀行のみの生活!」だったとうららさんは振り返る。
一方、ご実家ではお父様が退職と同時に難病を発症。闘病生活が始まったのだ。お母様が主に看護をしておられたが、うららさんも奈良から名古屋に通ってお父様を看病。8年間の闘病生活だった。老いや介護のこと、難病患者とその家族のことを考えることが多かった年月だったという。
お父様を見送った頃、3人のお子さんたちの学費が必要な時期に突入。主婦であること、自分の得意なことを活かして家計の手助けになる何かができないか・・・。以前から気になっていたPOP広告のスキルを通信教育で勉強し始めた。そしてたまたま近所のスーパーで“POP担当者募集”の広告を見つけ、思わず応募!見事採用!
40歳にしてほぼ初めての社会経験
大学卒業後にたった1年、しかもアルバイトの経験しかなかったうららさんの、ほぼ初めてに等しい社会経験のスタートだ!このとき、うららさんは40歳!
働き始めてみると知らないことだらけ。「ゆうきゅうきゅうか、って何?明細書?どうみるの?領収書とどう違うの?なにが103万なん?」自分は社会を知った気になっていたことに愕然とし、知らないうちに自分もお母様のように“お嬢様”だったことを痛感した。
仕事内容はパソコン入力での商品価格POPや催事POPなど店内販売促進グッズのデザイン。パソコンスキルをある程度身に付け、手描きPOP検定も1級まで取得。ここで経験したスーパーの売り場の様子やお客様の反応など、「机上の作業以外のこと」がその後大きく役に立つ。
そして10年。時代はパソコン全盛期・・・“手書きのPOP担当者はいらない!”という時代になっていた。うららさんの目もだんだんショボショボするようになり、一日パソコンに向かう作業が無理になっていた。ちょうど10年目の日にスーパーのパートタイマーを卒業した。
今、そしてこれから
スーパーを辞めた後、奈良市のイベント企画ボランティアグループに参加した。「クリスマスファミリーコンサート」「和太鼓まつり」「洋楽ダンスの会」などを企画・運営。ここには様々な業種の方が所属し、大変勉強になったという。“奈良という土地に愛着持ってやっていける”と自信を持てたのもこのグループ活動がきっかけだ。飲食店のメンバーから仕事の依頼を受け、メニューや看板作成を始めた。
そして、パソコンを使わないアナログなスキルを探していたところ、注視力がありインパクト大のチョークアートに出会う。横浜まで出向いてサインライターの資格を取得。個人の活動スタートと同時に、HP・ブログを開始。これを見た商工会から依頼され開催した講習が評価され、経営支援エキスパート(専門家)に登録。これは、商店街の人たちに視覚を活かした「商売繁盛の街づくり」を教えるものだ。
現在、うららさんは月4日の教室運営、年に一回の教室展の他、商工会からのチョークアートや手書きpopの講習会、イベント参加、オリジナル看板製作など、京都・奈良を中心に活躍中だ。
「アナログ(手描き)で人と物とお金が動くダイナミックなデザインをしたい!」とうららさんは考える。「お客様の心を揺さぶり思わずお財布を開けてしまうほどのPOPや看板を描きたい!」と。昭和と平成をちょうど同じ年数生きてきて、世の中のことや世代の相違、いろいろ感じることはあるけれど、若い人たちにも自分の言葉で伝えられる・・・かわいいイジワルばあさん!を目指したいとうららさん。
“奈良を感じさせる作品を描きためていけたら。”と思っている。
豊田うららさんリンク
ブログ「ぽっぴんハウスでひとやすみ」https://blog.goo.ne.jp/117annyon
池内後記
ご実家のお母様をつい最近見送ったとうかがった。現在はご主人、下の娘さんと同居し、お孫さんも2人。
これからは?と伺うと・・・「いろんなことを上手にたたんでいきたいのよね。人生を楽しむって余白がいるから。」と、昨年からエンディングノートを書く会に通っているという。
この日、うららさんはチョークアートの作品を持ってきて下さった。カラフルで楽しい、そして元気な作品。陽気なうららさんはとてもうららかなお声で話す。そしてとてもエネルギッシュ、うららさんの書くポップは文字通りポップだ!