新生WFCスタート!〜株式会社Women’s Future Center代表取締役、フリーライターWebデザイナー・栗本恭子さん
コロナの影響が出始めた2020年、3月中頃、恭子さんから連絡があった。「シェアオフィス業から撤退します。」
そして6月にWFCは引っ越しをした。
あれから約1年、私は恭子さんのご自宅兼オフィスを訪ねた。恭子さんに会うのはお引っ越し以来だ。
最終回 株式会社Women's Future Center代表取締役・ 栗本恭子さん
現在、恭子さんは、企業と、在宅ワークを望む人たちとを繋ぐ、コーディネートを中心に活動している。
地域の企業とママさん在宅ワーカーさんを繋いで、企業の広報やバックオフィスのサポートなどをしている。
キャリアのスタート期
恭子さんは、東京生まれの静岡育ち。4人きょうだい、お兄さんがいて、次が恭子さん、その下に妹さんがお2人。お父様は必ず定時に帰宅し、みんなで食卓を囲む。とてにぎやかな家族だった。
特に何が好き、得意、ということはなく、おとなしい女の子だったそう。男の子とは話もできないような内気な性格、ずっと本を読んでいた。
高校3年生の時、お父様が転勤になった。赴任先は奈良! 家族は奈良に引っ越すことになったが、恭子さんは大学進学のことを考え、そのまま静岡に残る決意をした。
そして、志望校に合格!卒業後、恭子さんも奈良へ、自宅から通える短大で日本文学を学んだ。
卒業後、生命保険会社に就職。2年目からは後輩のトレーニングも担当。この時の経験が今に活かせている。4年で結婚退職。
その後、お母さまのお友達の会社で1年営業職を、そして派遣でいろいろな仕事をし、出産を機に退職した。
(写真は独身時代の恭子さん)
結婚・家庭
ここでご主人と恭子さんの出会いのお話を。
生命保険会社に勤務していた頃のことだ。恭子さんのお母さんとご主人のお姉さんが知り合いで「うちの娘が適齢期で・・・」「弟が年頃よ。では二人を会わせてみましょう。」
明るいし、面白いし、笑いのポイントが一致しているな、それが第一印象。出会いから1年ほどで二人は結婚した。
ご主人と結婚して、奈良が故郷になった、好きな奈良にずっといられると感じたという。
話を出産後に戻そう。
しばらく子育てに専念していた。なぜなら、ご主人に「子どもがある程度大きくなるまでは家にいて欲しい」そう言われたからだ。
「ある程度って、それは何歳?」と尋ねた恭子さんに、ご主人は「15歳かな・・・」そう答えたという。
その回答を聞いて、頭がクラクラしたことをはっきりと覚えているという。
(ご長男が生まれ、15歳になるまで家にいて欲しいと言われた頃)
お二人目を出産、働きたいと思っていたが、食物アレルギーの強いお子さんで、とても仕事ができる状態ではなかったため断念。その代わりにボランティアの子育てサークル、に参加することにした。そこで奈良に来て初めてとも言える友人と出会った。
その友人が、子育てサークルを横に繋げてネットワークを作る「なら子育てネットワーク」を立ち上げ、恭子さんはそのお手伝いをしていた。ところがその友人が大学院に進学する道を選んだため、その「なら子育てネットワーク」の代表を恭子さんが引き継ぐことになった。
各リーダーさんを集めての勉強会、イベント、そして奈良市からの受託事業を行ったりしていた。当時、奈良市には60ほどのサークルがあったが、話を聞き、代表としての業務に携わっていた。
「なら子育てネットワーク」の活動のかたわら、託児付きの無料セミナーで雑誌の編集について学んだ。
子どもの頃から将来の夢は?と聞かれると・・・保母さん、雑誌の編集、童話作家、と答えていた恭子さん。編集の仕事がしたい、と。情報誌編集者育成セミナーの卒業制作を携え、あちこち営業に歩いて、子育てに関わるN P O法人のフリーペーパーを作る仕事に関わることができた。雑誌を一通り作ることを覚えた。
そのフリーペーパーが大評判になり、 “ぱーぷる”からライティングの仕事依頼がきた!「ぱーぷるmama」の創刊に携わることになった。プロの編集者として歩み始めた。
その間、3人目を出産、一旦仕事は中断、子育てに専念。上のお子さんが年長さんになったのをきっかけに、仕事に戻りたいと思うようになっていた時に、今の奈良市長のお母様が、全国展開でネットで仕事をするワイズスタッフの田澤由利さんの講演会にお声かけくださり参加した。そこで感銘を受け、すぐにワイズスタッフに登録。そこで全国のメンバーと在宅で仕事をしながらスキルを磨いていった。
その頃、商工会連合会の女性起業塾に通い始め、シェアオフィス業の事業計画を提出。
レンタルスペースを貸し出し、共有で使う人を募る、そしてホームページなどのデザイン、ライティングなどの在宅でできるワークをコーディネート、という事業計画だ。
そしてついに2014年6月、恭子さん42歳、株式会社Women’s Future Center(WFC)を設立。
もともと起業家になりたいなんて考えていなかった。だが、スキルのある人と企業を繋ぐ仕事をしていくためには、株式会社という形式が必要だと考えたのだ。
ところが、設立して1年もしないうちに、立ち上げたことを後悔したという。売り上げを上げるためにはどうすればいいのか、家賃もかかるしどうしよう・・・そこに“ぱーぷる”さんが大きな仕事を任せてくれたことで、自信につながった。
その後、ビジネスプラン発表の場である“L E D関西”のファイナリストに選出、コミュニティカレッジ(働きながら学ぶ)という企画を発表した。
(王寺町長と。女性起業支援を行っており、講師としてたくさんのWFCメンバーが関わった。)
WFCのこれから
一昨年末、単身赴任中だったご主人は退職し、WFCを共にやっていこうという決意をした。さぁ、夫婦二人で七期目突入!という時にこのコロナ。
いつも賑わっていたオフィスに誰も来なくなってしまった。一人では広すぎるスペース、ポツンと泣いていた。
「撤退しよう・・。」そう決意したものの、お引っ越しの日は寂しさがこみあげた。公民館では有料講座が開催できない、ここではできる!といろんな方が講座を開催してくれた。しかも赤ちゃん連れで、お子さん連れで通えるスペースだった。
そして何よりも、レンタルスペース業はW F Cの顔であった。
単身赴任から自宅に戻りサポートしてくれたご主人の存在は大きかったという。
これからは企業と在宅ワークを望む人の架け橋となっていきたい。在宅ワーカーさんたちの様子や情報を掲載するシステムを構築し、働く女性に向けて動画コンテンツ・ブログ・SNSを使い発信を続けていきたいと恭子さん。
新生W F Cは、走り続けている!
池内後記
このインタビューシリーズが始まった頃、このような世の中になると、誰が想像しただろう。恭子さん自身もWFC7期目に向け、プランもあったことだろう。
私のインタビューシリーズは代表の恭子さんで完結。途中で世の中の状況が大きく変化、当初の予定よりも完結までにこんなにも時間がかかってしまった。
これまで話を伺った皆さんも数ヶ月を経て、状況も変化してきているだろうと思う。このWFCには、大変有能で、そして個性的、しかもとても楽しいメンバーが集まっている。
本来なら今でもあのスペースに私たちは集い、さまざまなイベントが繰り広げられていただろう。
だが時代は変わった。このコロナ禍でみんなそれぞれが新しいステージに向けて進んでいる。
W F C代表の恭子さんのこれからの活躍に注目し、そして、WFCを故郷とする私たちもまた前を向いて進んで行かねば、と感じている。