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栗本 薫

ボイスデザイナー

ボイスデザイン 〜栗本薫さん〜あなたのニーズに寄り添う指導、姿勢・呼吸・発声・発音・話し方の大切さを伝えるスペシャリスト!

ボイスデザイン、ニーズに寄り添う指導、姿勢・呼吸・発声・発音・話し方の大切さを伝えるスペシャリスト!


2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。

今回のインタビュー企画では初めての出張インタビューとなった。何度かメッセージを交わし、いざ大和高田へ!薫さんがニコニコと出迎えてくださった。

「はじめまして。」からスタート!

元気な方だ、おおらかな女性だ〜と感心していると、どんどん話は進んでいく・・・メモをする手がついつい止まるほど話に引き込まれていく・・・。

 

第7回 ボイスデザイナー・栗本薫さん

薫さんはボウリング場や飲食店など手広く事業を展開するお父様の元で育った。お母様は近所でも評判になるほどのお美しい方だそうだ。目立つ存在はそのままいじめの対象となりやすい小学校時代。薫さんもいじめの標的となる。そのため地元の中学に進学するのは躊躇した。

小学校5、6年生の頃、合唱部で2年連続ソロとして活躍。歌うことが好きだった薫さんは、大阪の相愛中学校へ進学。同時に相愛音楽教室にも合格、そのまま、相愛高校音楽科、相愛大学声楽科と音楽の道を歩んでいく。

音楽の道

順調な学生時代を想像したが・・・実際は違った。

相愛中学に進学する頃、お母様が統合失調症となったのだ。学校で好きな音楽を学んでいても、帰宅すればお母様の様子を目の当たりにすることになる。

東京の音楽大学に憧れ、合格までした薫さんが結局は諦めることになったのも、お母様を見捨てることができなかったからだ。「私の一生はお母さんの面倒で終わるんだ。人生は思い通りにいかないんだ。」

相愛大学で声楽を続けてはいたが、“あまり真面目な取り組み方ではなかった、ずっとふてくされていた・・・。”と振り返る。

「その頃の私は、自信がなくて、自己肯定感なんてゼロ。どうせ私なんて・・ってずっと思っていた。」と薫さん。

自分の住んでいる世界しか知らなかった薫さんの前に、全く異なる価値観を持つ男性が現れた。同じ大学でサックスを演奏していた“イケメン”。薫さんは彼に惹かれた。

大学を卒業後、恩師の薦めもあり神戸女学院大学専攻科に進学する。海外に渡り、経験を積もうとも考えたが、折しもバブル崩壊期。様々なことを考慮し、音楽人生はこれで終えよう、と決心する。

一旦は自宅でピアノ教室を開く。が、薫さんに厳しいお父様や体調の悪いお母様のもとを離れたかった。イケメンの彼は京都にいた。彼のもとへ、京都へ行く。生まれて初めての一人暮らしだ。

音楽から離れて、そして結婚・出産

 生活のためにコールセンターで働き始める。契約社員から、働きぶりを評価され、正社員へ。上司からの信頼もあつく、採用も任されていた。

そんな時に子どもを授かった。上司に相談すると、薫さんが退職する代わりに、音楽家を志していた“彼”を採用するということになった。そうしてしばらくは働いていた“彼”(子どもを授かったのち“ご主人”)であったが、やがて働かなくなってしまった・・・。

29歳でご長男を出産、31歳でご長女を出産。

生活が困窮しはじめ、ご主人のご実家に家族4人で移り住むことになる。それもたった7畳ほどのお部屋に家族4人で。経済的に恵まれた環境で育った薫さんには非常に厳しい状況。

次第にここにいてはダメだと考えるようになる。

 

そしてご長男2歳の誕生日の日、家を出た。

たった2ヶ月で離婚調停は終了、離婚裁判にもあっさりと勝ち、離婚成立。

再スタート、起業

実家に戻った薫さんに新たな試練が訪れた。

息子さんが自閉症と診断された。それだけではない。そのことを聞いたお母様が、お孫さんの障がいを受け止めることができず、心の状態が悪化。この時、初めて薫さんはお母様の病院の診察に付き添った。すると、ずっと統合失調症だと思っていたお母様が、実は双極性障害であることが判明。しばらく入院はしたが、きちんとした治療が良い方向に進み、お母様はみるみる元気になっていったのだ。

子どもの頃から、周りの環境に振り回されることが多かった薫さんは、息子さんが自閉症と診断された時に「お母さんの病気のことは何も分からなかった。でも、息子のことは、今からなら、私がゼロから育てれば、なんとかできる!」そう思ったんだそうだ。

そして息子さんが9歳の頃、株式会社のぎすを起業

起業した最大の理由は二つあった。一つは、息子さんの状態を考えた場合、一般企業に勤務することが難しいからだ。もう一つは、息子さんの将来を考え、息子さんがいずれモノづくりができる環境を用意してあげたいという母親としての願いだ。

目をつけたのが “ボウリング用投球補助台”。実家のボウリング場にもあったような従来のものを改良し“ボウリングころりんスライダー”を開発、意匠と商標を登録した。これを全国のボウリング場に約500台販売、ビジネスは順調かと思った矢先、製造している工場がつぶれたのだ。

 

さて、どうする・・・?薫さんは考えた。

「そうや!私には歌があった。基礎からしっかり鍛えてきた声がある!この声を使えばいいんだ!」

声楽家の経験をふんだんに生かし、“姿勢・呼吸・発声・発音・話し方”を

“ボイスデザイン ”と題し、指導を始めた。声は変えられる、あなたの武器になる、という指導は人気だ。

 

薫さんがいつもお嬢さんに話していること・・・

「みんな考え方は違うんよ、誰一人同じ人はいないよ、人には言葉で言わないとわからないよ。みんな同じことを考えているんじゃないんだよ。なんでみんな同じじゃないの?と思ってしまうのは良い事ではないんだよ。『皆が違う』事を否定してしまうとお兄ちゃんの存在意義がなくなってしまうよ。」

 

現在中学三年生の息子さんは、息子さんなりのスピードで成長している。お嬢さんは中学一年生だ。お嬢さんは今や薫さんの良きパートナーのような存在なんだそうだ。

薫さん曰く、「七転び八起きどころか、七転八倒が連続の人生、けれど三日落ち込むと忘れる性格なんです(笑)」

転ぶ度にいろんな方々が薫さんの両手を持ち、両足も持ち、引き上げてくれる、引っ張ってくれている。それでも下から引きずり降ろそうという力が時々襲ってくる、すると周りの人たちが全力で引っ張ってくれる、と。

 

社名にもなっている“のぎす”は、工具の名前だ。モノを計測する際、両サイドから寄り添ってくるように見える工具を社名にした。“あなたのニーズにできるだけ正確に寄り添いたい” そんな願いを込めた社名だ。薫さんは、受講者の心に寄り添い、受講者の声をデザインしている。

ボイスデザイン オフィスのぎす ホームページはこちらから

池内後記

薫さんのボイスデザインが人気な理由・・・全ての人がお互いを認め合うこと、言葉で確認し合うこと、伝え合うこと、その大切さを薫さん自身が全身で感じているからではないだろうか。

インタビューをしている間、私はずっと薫さんに引き寄せられ、彼女がこれまで歩んできた人生に涙したり、大笑いしたり・・・こうまで人を引き寄せるパワーはなんだろう? 薫さんの言葉が本物だからではないだろうか、空洞ではない中身のぎっしり詰まった本物の言葉が心の底に響いてくる。

 

 

プロフィール

栗本 薫

ボイスデザイナー

栗本 薫

伝わる声を作る ボイストレーナー
奈良県大和高田市生まれ。音楽の道に進み、神戸女学院大学音楽専攻科を卒業するまで声楽を学ぶ。 長男が2歳の時に障害(自閉症)が判明し、将来の障害者の仕事を創りだしたいと思い起業。ボウリング用投球補助台「ころりんスライダー」を開発し全国のボウリング場に販売。その後登壇スキルが必要な経営者・企業などを対象に、研修・セミナーを行っている。また、役員のいらない親の会「KissA-きっさ-」を立ち上げ、発達障害をはじめお子さんの育て方に悩む保護者の相談を受ける。 今までの子育て経験から生まれた、「明るいオカンの作り方」の講演会活動での直近1年での受講者は700名を超える。

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聞き手

池内詠子

司会者・キャリアコンサルタント・講師

池内詠子

お天気お姉さんからキャリアをスタート、子育て期を経て司会者として復帰。話し方の指導、コミュニケーション強化の指導をはじめ、キャリアコンサルタントの資格を取得。二人の娘たちはすでに社会人。これからは働く女性たち、ママたちを応援していくのが夢です。表情や話し方、声の出し方で損をすることがないよう、レッスンしています。自信を持って、仕事をし、地域に関わり、子育てを楽しみながら社会で輝く存在になってもらえるようサポートをしていきたいと思っています。趣味は自然の中で、緑の中で過ごすこと。山歩きをしたり、里山の風景を楽しんでいます。美術館を巡ったり、おしゃれ談義をすることも好きです。

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