妊産婦食と予防医学の管理栄養士・日比野真里奈さん〜妊活食相談・育児中のママの食事相談、プレコンセプションケアも広めたい!
妊産婦食と予防医学の管理栄養士、妊活食相談・育児中のママの食事相談、プレコンセプションケアも広めたい!
2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
真里奈さんとはWFC周年パーティーの時にお話をした。その時、こんなことを話してくれた…「女の子を妊娠すると、女性は身体の中に子宮をふたつ持つことになるんです。」 驚いた! 私には2人の娘がいる。つまり、私には子宮二つ時代が二回あったということだ・・・。未来につながる大きな責任を負っていたのだということを今頃知った。
第18回 管理栄養士・日比野真里奈さん
真里奈さんは広島県尾道市の出身だ。尾道から海を挟んで向こう側、すぐ目の前の島で彼女は育った。
引っ込み思案な女の子、3月生まれで体も小さく、人前に出ることも苦手で自分に自信ががなかったいう。「3月生まれだからしょうがないね。」とよく言われていたため、自分は“しょうがない子”だと自覚していたんだそうだ。
隣のお姉ちゃんが真里奈さんの“お世話係” お姉ちゃんが真里奈さんを学校に連れて行ってくれて、みんなとの繋ぎ役をしてくれたという。
高校は海を渡って尾道の高校に通学。その頃、保育士になりたいと思っていたが、ご両親が取り寄せた大学のパンフレットで“管理栄養士”を知った。真里奈さんのご家族には病で苦しむ人がいなかったが、家族に病気の人がいないことは幸せなことなんだということに気付いた。病気にならない人生を食事で叶えられることを知り、管理栄養士になりたい、と考えた。
管理栄養士に向かって
進学した短大は神戸、三宮での一人暮らしが始まった。短大2年の時、他大学に編入するため猛勉強。通っていた短大からそのまま4年生の大学に編入しても医療現場での実習がない、それでは病気を予防する食事を指導する管理栄養士になれない、と考えたからだ。
志望の大学は、短大の先生方にも“あなたには絶対無理!”と言われた難関大学。編入試験のことを調べ、英語の論文対策に半年間英語の専門学校にも通ったという。努力の甲斐があり合格!
途中で編入したため、周りについていくだけで必死な大学生活。管理栄養士の試験は卒業前。この対策に集中したため。就活ができず、同級生より一足遅く7月に就職。病院内のセントラルキッチン、配食センターで仕事を始めた。
本来やりたかったこととは異なる、工場での勤務。閉鎖的な人間関係。いじめもあったという。
だが、すぐに辞めることはしなかった。“どうせ辞めるなら配食の仕事をしっかり覚えてからにしよう!”
そしてようやく管理栄養士として、やりたかった仕事に就いた。老人ホームで入所さん一人一人に合わせ、様子を見て、指導する仕事だ。毎日が楽しく、ずっと続けたかったが、産休の職員さんの代理で期限付きであったため、1年ほどで退職した。
その後、厚労省の健康運動指導士の資格を、アルバイトをしながら取得した。
結婚し東京へ
ここで真里奈さんのご主人のことを書いておこう。
ご主人との出会いは大学時代、バレーボールサークルで一緒だったそうだ。
真里奈さんが先述の健康運動指導士を取得する頃、大学院に進んだご主人と再会。大学時代からずっと真里奈さんのことが好きだったというご主人と交際が始まった。大学院を卒業したご主人は就職。東京での勤務が決まる。
やがて、結婚、東京での生活が始まった。真里奈さんは東京で、病院内の管理栄養士として派遣で働き始めた。あれほどしたかった病院内での仕事であったのに、ハードワークで体調を崩してしまった。このままでは管理栄養士の仕事さえも嫌いになってしまうと思い、それを避けるため一旦管理栄養士の仕事から離れる決意をした。
病院に勤務していると、薬剤師さんと話をすることが多い。薬剤師さんの話についていけないと感じることが多かった経験から、薬局で働いてみようと思った。そして正社員で、薬局で、産休を含め4年ほど働いた。
28歳で男の子を出産。真里奈さんの産休がそろそろ終了し、復職しようとした頃、ご主人が転職を考え始めた。薬局に復職する気持ちでいた真里奈さんは、ご主人の考えに驚いたんだそうだ。仕事への未練を残しつつ、奈良に家族で戻ってきた。
さあ、奈良でも何か仕事をしよう、1歳7ヶ月になっていた息子さんを保育園に預けよう、と思ったら・・・「無職の人は無理!」と門前払い。あちこちで“無職、無職!”と言われ続け、自分が望んで無職になったわけじゃないのに、と怒りにも似た気持ちでいっぱいだったという。
結局、小規模保育園を見つけ、医療事務の仕事に就くようになった。フリーの管理栄養士として働くことを頭に描きながら、“女性の起業”という検索をしているときにWFCのことを知り、会員に。”ぱーぷるママ”で食に関するコラムを書くことが決まった。
妊活食アドバイスを開始
やがて医療事務の仕事を辞め、配食センターでパートで管理栄養士として仕事を再開。東京にいる頃に通っていたお料理教室から、妊婦さんのために食事に関するコラムを書いて欲しいという依頼を受けた。妊産婦食アドバイザーの資格も取得。次第に“妊活”が真里奈さんのキーワードとなってきた。
コラム執筆の他に、奈良市の子育てサークルや、大阪の整体院で「初めての離乳食とママの健康講座」を開催している。これは育児はママの健康が第一、子育て中のママたちにこそ、しっかり食事をして欲しいという真里奈さんの願いでもある。赤ちゃんのお世話、離乳食作りに必死で自分の食事がおろそかになりがちな産後のママたちに向けて発信している。
もう一つ、真里奈さんが取り組んでいるのが、アメリカから入ってきた“プレコンセプションケア”だ。「私、多分将来赤ちゃんを産みます。」という考えを土台に、将来のために体を大事にしよう、食を大切にしようと、女子大生に啓蒙していきたいそうだ。
女性がキャリアを構築していく上で、妊娠、出産には計画が必要、自分らしく生きていくために、計画をした方が良いと真里奈さんは考えている。
プレコセプションケア、妊活、産後ママまで「女性の気持ちに寄り添い支える栄養サポーター」が真里奈さんの目指す姿だ。
日比野真里奈さん リンク
池内後記
真里奈さん自身も2人目が欲しいと望んでいる。息子さんはそろそろ4歳になるそうだ。妊娠期、子育て期でも、在宅で、オンラインで仕事ができるようなシステムを構築し、栄養アドバイス、妊婦さん向けのアドバイスをしていきたいと考えているそうだ。
真里奈さんのお母様とどうやら私は同い年。自らも子育てママでありながら、ママたちの応援をしている真里奈さん。懸命に子育てをし、なおかつ自分の仕事スタイルを構築していこうとしている。我々おばちゃん世代は、彼女のような若いママたちを見守り、応援していかねば!とあらためて感じたインタビューであった。