終活カウンセラー上級〜山之口恭代さん〜終活カフェ“日々紡々(にちにちつむつむ)主宰!
終活カウンセラー上級、終活カフェ“日々紡々”(にちにちつむつむ)主宰!
2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
以前、恭代さんが開催した“もしバナゲーム”を体験する会に参加したことがあった。これはもし自分の寿命があと半年だとしたら・・という仮定の元、カードの中から自分が大切にしたいものを集めていくというゲームだ。ゲーム参加者の年代、環境により、選ぶカードは異なる。このゲームの後、恭代さんに終活のお話、エンディングノートのことなどをうかがった。
興味を持った私は、キャリアコンサルタントとしての学びの一環にもなるかと考え、終活カウンセラー初級講座を受講したのだ。
第19回 終活カウンセラー 山之口恭代さん
恭代さんは現在、上級終活カウンセラーとして、終活カフェ“日々紡々(にちにちつむつむ)を主宰している。 ”今をつづる・私をつづる・つどいの場“ 様々な年齢の方が集い、関わり合い、価値観や人生の在り方に触れることにより、自分のこれまでの道程を振り返る時間を持ってもらう場。それが恭代さんの終活カフェだ。
ご主人はキリスト教専門の葬儀社“しらゆりセレモニー”を経営している。
中国史の学び
恭代さんは大阪・高槻市のご出身。お父様は開業医、「勉強しなさい!」というご両親様の言葉をよく聞き、中学生までは優等生だったという。
高校は地元の進学校。所属していた演劇部では、いい仲間、先輩と出会い、創作劇に取り組んでいた。しかし成績は次第に下がり、大学受験に失敗。恭代さんいわく、全く記憶に残っていないという浪人時代を1年過ごし、そして京都女子大学文学部史学科に入学した。
歴史を選んだ理由は、子供の頃から歴史小説が好きだったこと、そして演劇部の先輩の影響で三国志にハマっていたからだという。その三国志の権威である狩野直禎先生の著作をよく読んでいたこと、そしてその狩野先生が京都女子大学の学長であることが大学の選択の決め手となった。
大学には自分と同じ歴史好きがたくさんいた。それまで恭代さんが隠していた“オタク気質”を隠す必要はなくなった。バラ色の女子大生時代だ!
中国史を思う存分学び、卒論を書き上げ、そのまま大学院に進む。当時は就職氷河期、就活をする気になれず、そのまま勉強する道を選んだ。
修士課程2年間を終え(修士論文注釈1)就活開始。研究者になる気はなく、就職したいと考えていた。
ところが全て落ちた。学生時代からしていたデパートの和楽器売り場でのアルバイトを続けた。
しばらくして、母校の大学の図書館の司書スタッフにとお声がかかり、その後、付属高校の図書館で事務のパートで働くことになった。大学と同じ敷地内にある図書室に通っていると、恩師の先生から「勉強会にこないか?」と誘われた。久しぶりの研究室、史料を手に取り読んでいる時間が楽しい。やはり自分の居場所は図書室じゃない、研究室だ!
大学院卒業から3年後、恭代さんは博士課程を受験、さらに3年間学び、博士論文を記した。(注釈3)
自身の学びを極めていく一方、高校で社会科の教員として指導を行っていた。
ご主人との出会い
さて、ここでご主人との出会いを振り返ろう。お2人は同い年、出会いは高校時代。別の高校に通っていたのだが、生徒会役員をしていたご主人は他校の行事に顔を出すこともあり、友人の高校の文化祭で出会ったんだそうだ。共通の知人もおられ、大学時代は声優サークルで一緒に活動していたのだという。サークルの活動を通して、優しくて寂しがり屋な彼を知り、恭代さんにお見合い話が来たのをきっかけに、交際が始まったそうだ。図書館でのパート時代のことだ。
結果的にご主人は恭代さんが博士課程の学びを修めるまでずっと待っておられたということになる。
恭代さんの大学院時代、勉強のしすぎで心のバランスを崩した時も、慣れない高校での指導にストレスを抱え、一人暮らしのマンションの階段から落下し、救急車で運ばれた時も・・・ご主人はいつも恭代さんを支え、励ましてくれていたという。
このころの恭代さんは、精神的に辛い時期であった。奈良にある教会で、牧師の先生のカウンセリングを受け始めた。少しずつ自分を認められるようになると同時に、誰かのために祈ること、損得を別にして奉仕する教会の皆さんの姿に、自分もそうありたいと思うようになった。そして恭代さん自身も洗礼を受けた。
2012年6月に結婚。出会いから約20年。ようやく2人は夫婦として歩み始めた。
お2人が結婚する頃、ご実家のお母様の体調が悪化。開業医のお父様の診療所で経理をしておられたお母様だったこともあり、お父様は診療所を閉めた。するとお父様の体調が悪化、診療所をたたんで間も無く天国に旅立たれたという。90歳、40年以上開業医として多くの患者様に向き合ってこられたお父様は、診療所を閉める際、50名以上の患者様のお一人お一人の紹介状を手書きで用意されたという。お父様のそんな姿、そしてお父様を見送った後の診療所の建物をどうするか・・・恭代さんの頭の中は様々な思いがぐるぐるしていたという。
2014年に葬儀社の仕事に役立つと考え、終活カウンセラー初級講座を受講していた。お母様の病、お父様のご逝去で、自分は何ができるのか・・・そんな思いでいっぱいだったという。
2016年に、義理のお父様の会社から独立し、夫婦で葬儀社をやっていく話が出てた。恭代さんは上級カウンセラーを受験し資格を取得した。資格の取得により、相談業務やセミナー開催にも役立つ、そしてお葬式以外の学びにもつながると考えた。
起業、そして・・・
ちょうどその頃、WFCとの出会いや創業スクールへの参加もあった。
そして今につながっていく“ならまち終活カフェ”を2017年にスタート。エンディングノートを綴る会、読書会や講座なども開始した。
2019年春、日々紡々(にちにちつむつむ)としてリニューアル。
恭代さんは自身の活動を、シニア世代よりもむしろ、30代から40代の方々に知って欲しいと考えている。いざという時・・・それよりも前にコミュニケーションを大切にして欲しい。葬儀の仕組み、料金はもちろんだが、それよりも故人となった方のそれまでの人生をどれだけ把握しているかで葬儀がうまくいくかどうかは決まると語る。
『人は1人では死ねない!』これからおひとり様がどんどん増えていく。自分の思い通りに人生を終えられないからこそ、周りの方々と関わり合いながら、エンディングノートを一つのツールとして欲しいという。自分の意思を伝えられる関わりを多くの人と持ってほしい、そのために綴る会、その場を提供しているのだと恭代さん。
しらゆりセレモニーは、キリスト教専門の葬儀社だ。クリスチャンの信仰を持つ人が経営しているのは珍しいのだという。恭代さん自身は結婚前に洗礼を受けたそうだ。夫婦2人でやっているため、臨機応変に対応できるという。
山之口恭代さん リンク
(注釈)
1修士論文・『清代長江三峡における航道整備事業〜李本忠と「平灘紀略」を中心に』
2博士論文・『清代長江中上流域の「開発」とその特質〜航道整備事業を通して』
池内後記
恭代さんは、学生時代にやっていた研究活動と同様の「自分の世界」を、終活カウンセラーの活動の中に発見しているのだという。伝える・教えるということも、これまで大学や高校で教えてきた経験が、多少なりと活かせていると。
恭代さんは実にわかりやすく、エンディングノートや葬儀などの質問に答えてくださる。何を聞いても、明確に教えてくれる、私にとっての終活の先生である。私の手元にもエンディングノートがある。恭代さんに教えてもらいながら、お話を聴きながら、書き始める日はそう遠くはない、と確信している。