安心するような世の中作りのために、貢献すること、それが自分の仕事〜萩原有紀さん
安心するような世の中作りのために、貢献すること、それが自分の仕事はぎはらFPラボ」代表
「BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
このインタビューシリーズは、みなさんをお名前で記載している。しかし“有紀さん”と呼ぶのがどうも私にはしっくりこない。今回は“萩原先生”。
私をWFCに紹介してくださったのが萩原先生である。今回インタビューするメンバーの中では一番濃いお付き合いをしているわけである。
私たちは同じ大学で同じ授業科目を持つ仲間として3年前に出会った。彼女と私は全く異なるバックグラウンドを持ちながら、同じ科目?という疑問はさておき・・・。
第41回「はぎはらFPラボ」代表・ファイナンシャルプランナー・萩原有紀さん
出会いから半年経った頃、半期の大学の授業を終えた日、私たちは大学近くのレストランでランチをした。とても美味しいコロッケ専門店だ。そこでコロッケランチを食べながら、3時間近く、それぞれがお互いのことを語り合った。
彼女の生い立ち、幼少時代、キャリアの選択、女性としての悩み、絶望、挫折、子育てなどなど。かなり深いところまで彼女は話してくれた。実際のところ、ここに書くことができない話の方が多いのかもしれない。そして、そのことこそが彼女の現在の発端となっているとも言える。
実際問題、この“ファイナンシャルプランナー”という肩書きはどうなんだろう?いや、もちろん、彼女は正真正銘のファイナンシャルプランナー。それも大変信頼できるFPの先生である。私も彼女に家計診断を依頼したことがある。実に優しく?厳しく?指導し、アドバイスしてくれる。もうそれに関しては間違いない。
FPとしてのキャリア。彼女はこれまで多くの媒体で、自分自身のキャリア形成についてインタビューを受けている。彼女のキャリアに関してはこちらをご覧いただきたい。(インタビュー記事)
萩原先生は、もともとは看護師だった。
なぜ看護師に?
大好きなおばあちゃんが心臓が弱く、手術を受けた。萩原先生がまだ保育園児の頃のことだ。その時、病気を治し、患者を励まし、勇気づけているのは看護師だと思っていた。医師の存在が見えていなかったわけである。「看護師さんになりたい!」まだ幼い有紀ちゃんがそう言うと、大好きなおばあちゃんが特に大喜びし、ご近所にそれを自慢した。
幼い有紀ちゃん・・・引っ込みがつかなくなった・・・。
高校生になっても、将来なりたいものと言えば・・・看護師、婦人警官、CA・・・。そう! “制服”のある職業ばかりだ。単に制服フェチだったのかもしれないと彼女は言う。
高校生のとき、奈良県内の病院で看護師の仕事体験をさせてもらい、改めて看護師という職業に直感的な魅力を感じた。
京都市内の看護学校が第一志望だった。だが、もう一校、ノリで願書を提出した学校があった。“東京大学医学部附属看護学校” この学校の看護には歴史があり、自分がやりたいこと・・・「患者さんの治る力を高めること。」を教えてくれるかもしれないなと思ったのだ。だが、あくまでも記念受験の気でいたため、願書を出したことすら忘れていた。
京都の看護学校を受験するため、前泊していた宿に関東に住む彼女のおじさんから電話が入った。おじさんは、可愛い姪が東京の看護学校に願書を出したことを喜び、一次試験の結果を見に行ってくださったのだ。結果は合格だった!
電話を切ってすぐ、彼女は、宿のおばさんに事情を話し、最終の新幹線に飛び乗り、おじさんの元へ。翌日、面接と論文の二次試験にチャレンジ。見事合格!
後にわかったことだが、学校側が関西からの初の受験生である彼女を大変ユニークな存在と捉えたことが、合格の一番の理由だったようだ。
こうして、彼女は3年間の寮生活をスタート。その後、東大病院で2年勤務した。そして阪大病院を受験し、そこで3年勤務。この5年の間、彼女は看護師としても、またひとりの女性としても多くの経験をした。それをここに書くことはできかねる。しかし、その時の彼女の心にあったこと、それは「患者さんの味方になりたい!」
法学部に進学
患者さんの味方になるため、看護師を辞めた。弁護士となり、医療裁判で患者さんの味方になるんだ!そう心に決めていた。関西大学法学部に入学したのが26歳。学費は全て自分でまかなった。卒業後は大学院実務コースへ。学びを修めた時、彼女は32歳になっていた。
そして、弁護士事務所に就職し、7年勤務した。当初は、勤務しながら司法試験を受けようと思っていたのだという。ところが次第に思いは変化してきた。
彼女は、弁護士事務所に勤務して間も無く、33歳で結婚している。
事務所で毎朝会う警備会社のおじさんがいた。「はよ結婚せなあかんで!」とおじさんがいつも言っていたそうだ。一方、ご主人はビルの空調やエレベータの管理をしている会社に勤務、その弁護士事務所に出入りしていた。ご主人もやはりその警備のおじさんと会話をしていたのだ。
これも後日談ではあるが、そのおじさんは絶対に2人を引き合わさなければいけないという、まさにお告げのようなものを感じていたらしい。2人はおじさんの直感通り、運命の2人だった。11月に出会った2人は、翌年の5月に結婚。もちろん“おじさん”も結婚式に出席し、スピーチをしたそうだ。
仕事の話に戻そう。弁護士事務所で、債務整理の仕事をしながら、「借金で失敗している人は生活習慣から改めなければならない、根本的にお金の本質を知ることが必要だ。お金をコントロールできないのは怖いことだ!」と考えた。お金で失敗しない仕組みづくりを作りたい、と考え、FPの資格を取得した。
現在の仕事、そして自分の役割
35歳でご長女を、39歳でご次女を出産。子育てをしながら、毎日忙しく動き回る萩原先生。
現在の活動をまとめてみよう。
*子ども向けのお金教育 キッズマネーステーション
*子ども食堂
*森林整備事業 大和森林管理協会
*非営利のプログラミング教室
どうだろう?彼女の肩書き、ファイナンシャルプランナー?彼女はそれをどう捉えているのか・・。そこに彼女の本質が見え隠れする。
彼女が大学院で司法試験の勉強よりも、興味を持ったのが「憲法13条・幸福追求権」そして、書いた修士論文が「患者の自己決定権」
萩原先生は、自分が今やっていることは“憲法学の実践”なのだという。看護師時代に悩んでいたことが、憲法を学んで繋がった気がしたという。
“その人が何をしたいかが一番大事”だと萩原先生は語る。人の不安、健康問題、人間関係、お金・・・人が安心するような世の中作りのために、貢献すること、それが自分の仕事。言葉を選びながら、考えながら、萩原先生はそう私に話してくれた。
萩原有紀さんリンク
池内後記
彼女も私も丑年・牡牛座、うしうしペアである。もちろん彼女は私より一回り年下ではある。私たちはおしゃべりを始めると止まらなくなる。話題が尽きないのだ。仕事のアイデアもどんどん浮かぶ。お互いが忙しすぎて、そのほとんどを実現できていないのが現状であるが・・・。
萩原先生、まだまだ巨大化しそうである。何かやるだろう。現状に満足し、キープしているタイプの女性ではない。これからも私には刺激的な存在であり続けるに間違いない、そんな強力な仕事仲間であり、大切な友人である。