本のスペシャリスト〜福島千佳さん〜文章の書き方・感想文の書き方指導で大人気!朗読と絵本の読み聞かせボランティアでも大活躍!
2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
福島千佳さんとの出会いは半年ほど前。私の朗読レッスンを受けたいと申し込んでこられた。音読を聴いてみると、これが素晴らしい。指導など不要だ。ほんのわずかのアドバイスでまたグッと良くなる、いいセンスをお持ちだ。
レッスンを終える頃、彼女が私に「先生、私、以前からやりたいことがあるんです・・・。」と話し出した。それは、大人の恋愛をテーマにした作品を朗読する会を持ちたいというものであった。それはいい、と思った私は二つ返事で承諾する。すると彼女は、そこから数日の間に、題材を決め、会場を探し、日程まで決めてきた。驚くほどの行動力だ。
そして私たちは出会いから3ヶ月も経たないうちに、二人で初の朗読会「大人の恋物語」を開催したのだ。
第5回 文章・エッセイ・読書感想文講師 福島千佳さん
「いつから本が好きになったの?」と千佳さんに尋ねてみた。「小学校1年生の頃かな。武藤先生が私の文才を見出してくれたの。」と千佳さん。 担任の武藤先生に勧められ、千佳さんは「ねこ」というタイトルで詩を書いた。それを先生が詩のコンクールに応募し入賞した。
文才を発揮していた子ども時代
それから学校に案内が送られてくる様々なコンクールに応募するようになり、全国読書感想文コンクールでは何度も何度も入賞した。校内のお昼の放送で、入賞した自分の作文をマイクの前で読んだことで、アナウンスにも興味を持ち、4年生の時に放送部に入部した。
小学校3年生の時の担任は森田先生。この先生も、国語の授業の最後に、必ず千佳さんを指名し、模範解答を発言する機会を作ってくれた。引き続き、作文コンクールにも入賞をし続け、文章が本に掲載されることも多かった。
5年生の頃、生まれ育った北九州市から隣町の小学校に転校した。これまで書くことを得意としてきた千佳さんは、この転校を機に書くことをやめてしまったのだ。ちょうど思春期を迎え、自分のことを表に出すことが恥ずかしかったことがその理由だ。
中学校では放送部。学校代表でNHKの朗読コンテストに2年連続で出場するが予選落ち。自分には朗読の才能はない、と落ち込んだ。それでも放送部の役割は楽しく、アナウンスすることへの興味は膨らんでいった。高校では、運動会の時にのみ活動する放送メンバーに選ばれ、部活動は茶道部。千佳さんいわく「ひっそりと中学・高校時代は過ぎ去っていった。」
地元の大学に進学した。特にお父様が厳しく、親元を離れて進学するなんてことは許されなかったんだそうだ。日本文学科で現代文学を専攻した。大学時代も放送研究部に所属し、地元の大学野球でウグイス嬢として活躍していた。
大学ではレポートを提出することが多く、千佳さんは「私は書ける人だった!。」と思い出した。いろんな作家について学ぶ中で、自分も小説を書いてみたい、となんとなく思うものの、当時の千佳さんは恋愛やアルバイトに忙しく、書くことはいつも後回し。結局、なにも生み出せないまま学生生活は終わった。
卒論に選んだのは“高村光太郎”。 「光太郎と千恵子の関係性について」をテーマに書き上げた。
カナダへ
大学を卒業後、就職したのは金融会社、入力業務に携わったが、たった1ヶ月で「これから先、ずっとこれをしていくのか・・・。」と悩み始めた。ずっと夢だった海外での暮らし、そこで親の干渉なく自分の力で生きてみたい、と思うようになった。大好きな時任三郎のカナダを舞台としたドラマや、カナダに暮らす同級生の影響もあり、“私もカナダに行こう!”と決心。自分でお金を貯め、1年3ヶ月後にカナダへ飛び立つことに。なんとギリギリまでお父様には内緒で計画を進め、半ば強行突破での出発だったようだ。
ワーキングホリデーのシステムを使い、語学学校で英語を半年間学んだ。その後続いて、現地の会社で働きながら英語を学ぶというプログラムに移行した。
その頃、日本人仲間が立ち上げたプロジェクトに参加。現地のFM局のオーデイションを受け合格!仲間たちとFM Japanの枠を任され、そこで日本のニュース、スポーツニュース、現地の情報、イベント告知などのアナウンサーとして約1年半活動する。
その後、千佳さんはロサンジェルスに渡った。現地では日本企業の電話対応の仕事をしていた。ところが、3度にわたる大きなアクシデントが千佳さんを襲う。
1度目は高速道路を走行中、銃撃戦を伴うテロに遭遇。最初は映画の撮影だと思ったんだとか。家に帰ってからニュースにもなるほどのテロだったことを知った。2度目はコインランドリーでのこと。身体の大きな男性から恐喝に遭い、手持ちの10ドルを奪われた。そして3度目が1994年1月のロサンジェルス大地震だ。
度重なるアクシデントにさすがの千佳さんも命の危険を感じ、帰国を決意した。
日本に帰国したのは千佳さんが25歳の時だった。帰国後すぐに入社試験を受け、正社員で英会話学校のマネージャーとして採用された。約2ヶ月の研修の後、すぐに一校を任されることになる。その学校が奈良だったのだ!
430人もの生徒を抱えていた学校で業務する中、自分と同じ誕生日の人がひとりだけいることに気づいた。そしてその生徒さんを面白半分でデートに誘った! なんと、それが今のご主人なのだ!
映画を観て、食事をしたが、そのデート以降、千佳さんはご主人のことは全く気にかけていなかった。そんな千佳さんに、ご主人はひたすらアプローチし続けたそうだ。
そしてついに千佳さんの心がご主人に向かう出来事が! 風邪をひいて寝込んでいた千佳さんをご主人が看病に訪れたのだ。寝ていた千佳さんが、ふと目を覚ましてみれば、ご主人がみかんの缶詰を手に涙目になって見つめてくれていた。「なんていい人なんだろう。」このことをきっかけにご主人の気持ちにきちんと向き合うようになり、8ヶ月後に結婚した。英会話学校も退職した。
ママさん小説家
結婚して5年経った頃、ご主人が広島県福山市に転勤になる。見知らぬ土地で自分の時間ができた千佳さんは、ここで小説を書き始めた! 初の短編小説『こけもも』はフェリシモ文学賞で優秀賞に。その頃ご長男を出産。
翌年『温かな午後』でフェリシモ文学賞の大賞を受賞!ママさん作家として、本社での授賞式に参加した。作品集として本も出版された。
その頃、ご主人が再び転勤になり、奈良に戻ってきた。ママさん作家として、次なるチャレンジは、地方文学賞の“ゆきのまち幻想文学賞”だった。1作目は佳作、2作目の『ストロベリーシェイク』で優秀賞を受賞し、青森で開かれた授賞式に参加した。この時、それ以降の千佳さんの人生を決定づけることがあった。審査員を務めていた作家の高田宏氏が「あなたは他の誰よりも文章力がある。でも、あなたは小説家にはなれない。あなたには生きていくために書かなければならないという強さが見られない。だから、他の誰かに文章を教える仕事をしなさい。」そうアドバイスされたのだ。
その後、近鉄文化サロンで文章教室をスタートさせた。約8年前のことだ。そこから教室の数は増えていき、小学生向けの読書感想文教室も依頼されるようになった。
また、奈良県のホームページで子育てブログのライターとして3年間活躍した。 “ちいち日記” として子育てのブログを書き大人気に。後にわかったことだがWFCの社長の栗本さんがこのブログのファンで、千佳さんに憧れていたというエピソードがある。栗本さんと千佳さんの実際の出会いはもう少し後だ。
息子さんが小学校に入ったのを機に、“絵本と朗読の読み聞かせボランティア 子ども読未知(よみち)”を立ち上げた。
現在の活動
約5年前から、進学塾でインストラクターとして、国語の基礎、音読、スピーチ等を指導している。そして私立高校でも週に一度、国語表現クラスの非常勤講師として、表現、音読、スピーチ指導を行っている。もちろん文章教室、感想文教室も大人気だ。夏休みに開催される読書感想文教室はキャンセル待ちが出るほどだ。
子ども読未知(よみち)は結成から10年を超えた。特に小学校・中学校での「平和学習」と「いのちの授業」は、桜井市内の半分以上の学校で開催するまでになった。高齢者施設をはじめ、様々な場所、イベントでの活動は、千佳さんにとって大切なライフワークだと自信を持って言えるそうだ。
数年前、奈良100年会館でのイベントの際、子ども読未知として参加することになった。となりのブースにはWFCのブースが!そこで栗本さんと挨拶をかわし、WFCの内容に興味を持ちはじめた。それからFBやHPをチェック。そこにはいろんなスキルを持った魅力的な女性たちの姿があり、千佳さんは「この素敵な女性たちの仲間入りをしたい。そして人脈を増やしたい」とWFCの会員となった。実際、WFCを通して、人脈も仕事の幅も広がったように感じているそうだ。
千佳さんの人生のターニングポイントに必ず良きアドバイザー、指導者が現れていた。小学校1年生の時の担任の武藤先生は千佳さんの文才を見出してくれた。作家の高田宏先生は指導の道をアドバイス。進学塾での講師研修では指導のスキルをしっかり学べた。そして彼女は私との出会いも、その中に入れてくれた。これから朗読していく自信ができた、と。
毎日、アクティブに飛び回る千佳さん、なかなか自分の時間が取れないのが悩み、それでも読書が好きな彼女は、どんなに忙しくとも月に2冊以上は本を読む。優しいご主人は忙しく走り回る千佳さんを黙って見守ってくれているんだそうだ。
「生まれ変わったら小説家になりたいの?」と聞いてみると、「いや、生まれ変わったらお姫様!蝶々を見て過ごして、家には婆やがいる、そんな生活!」なんだそうだ。
池内後記
今の自分が好き!と千佳さんは言う。充実感もあるから、この流れを止めたくない、これで終わりということを作りたくない、と。なんて、前向きなんだ!ポジティブなんだ!
私との出会いをターニングポイントと言ってくださった・・・いやいや私の方ですよ、千佳さん!あなたが私を突き動かしている、そんな気がしますよ。蝶々を見ながら過ごしたいと言っていた千佳さん、私には千佳さんが元気に飛び回る蝶々に思える。
このインタビューの後、第2回目の「大人の恋物語」の打ち合わせへと話は進んだ。