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西上華世

デリカ&キッチン「HANA」

デリカ&キッチンHANA〜西上華世さん〜発酵・手作り・旬の物で作るお料理

デリカ&キッチンHANA〜発酵・手作り・旬の物で作るお料理


BLOOMメンバーへのインタビュー企画」インタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。

高畑の閑静な住宅街にある、とても素敵な教室にお伺いしてのインタビューとなった。華世さんはここでお料理教室を主宰している。(インタビューは1月16日に行いました。)

第31回 糀エヴァンジェリスト・おから再生プロデューサー 西上華世さん

大阪府八尾市で育った華世さん、小学校1年生の時に、お母様がご自宅で「ヤマザキパンとタバコ屋さん」を始めた。このお店が大繁盛。ショーケースに入ったパンをトングで取り出し、食パンはお母様がカットして袋詰めしていた。華世さんはここでよく店番をしていたそうだ。

中学1年まで恵まれた生活をしていたが、生活が次第に変化していった。電気工事を請け負う会社を経営していたお父様が、ギャンブルで会社のお金まで使うようになり、ついに社員に給料を支払えなくなる事態に。お父様が勝手にお母様の宝石などを質屋に持っていき、そのお金を全部ギャンブルにつぎ込んでいた。お母様は消費者金融でお金を借りるお父様に愛想をつかして離婚することに・・・。

お料理の原点

ご両親が離婚したのは高校2年の時。華世さんと妹さんは、当時私立の高校に通っていたそうだ。お母様はお嬢様たちのために、パートで働き続けた。華世さんもお蕎麦屋さんでアルバイトをした。それまで目玉焼きしか作ったことがなかったのに、そのお蕎麦屋さんでは仕込みを手伝うことになった。そんなこともできないのか!?と怒鳴られながらネギをひたすら刻んだ。そしてバイトのない日は、パートで夜も外に出ているお母様に代わり、お母様のお嫁入り道具のお料理の本を見ながら、夕食を作るようになり、どんどん料理の面白さ、楽しさに目覚めていった。家族の皆様が美味しいと言って食べてくれるのが何より嬉しかった。

振り返ると、それが今の仕事につながる・・・原点だ

高校卒業後は就職するつもりでいたが、就職試験に失敗、短大の食物栄養科へ進むことになった。

キャリアのスタートはOL

短大在学中の実習で、あまり栄養士の仕事に興味が持てず、一般企業のOLとして就職。そして4年経った頃、別のことがしたくなってきた。当時は、会社を退職する時は“寿退社”がのぞましいとされていた時代。付き合っていた人と別れたことも華世さんの背中を押した。

旅行業務取扱責任者の資格を取得するため、半年間週に2、3回、夜間の学校に通い、無事に国家試験に合格。全日空の子会社に正社員で勤務することが決まった。とてもやりがいのある仕事で充実した日々。その会社での4年の勤務の間、28歳の時に、前の会社で後輩だったご主人と結婚した。結婚後、すぐに妊娠。育児休暇を取得しようと願い出るが・・・当時、制度として、育児休暇というものが導入されてはいたものの、前例がないという理由で、育休願いは却下され、退職することになったのだという。辞めたくなかった・・・が、仕方なかった・・・。

男の子を出産、続けて1年半後に女の子を出産した。お嬢さんの出産後、お嬢さんの先天性の病がわかったこともあり、悩みも多く、完全に社会との関わりを断ち、子育てに専念した。息子さんが幼稚園に入園するタイミングで奈良・香芝市に転居した。

お嬢さんが幼稚園に通うようになると、自分の時間が少し持てるようになった。久しぶりの一人の時間!働いてみようかな・・・。近くのスーパーで早朝の2時間だけのパートに就いた。お惣菜を作る仕事だ。スーパーでは珍しく本格的な石窯でピザを焼いたり、天ぷらやフライを揚げる。「これで揚げ物が得意になった。」と華世さん。

2時間の勤務では、さすがに物足りなさを感じるようになり4年後に転職。自校式の給食、いわゆる給食のおばちゃんになった!

日々、楽しく仕事をしていたが・・・44歳の時に、体調が悪化。子宮筋腫、内膜症、そして乳がんも見つかった。しばらく治療に専念。その後、元の職場に戻ることを希望したが、様々な事情で断念、デイサービスの栄養士兼調理の仕事に就くことになった。献立を考え、発注、仕入れ、調理を一人で担当した。

 

教室開講へ

48歳の時、WFCの栗本さんとの出会い、そして親子絵本料理教室を主宰する方から講師にならないかと誘われたが、自分の料理をたくさんの人に食べてもらいたくてワンデイレストラン 等でランチを提供していた。

そして、現在、華世さんがお料理教室を開いている高畑の建物の新築祝いの際、ケータリングでお料理を提供したことがきっかけで、スペースを借りることになった。5、6年前のことだ。

 

この教室と華世さんのご自宅で、現在は発酵料理クラス・手作り調味料クラス・子ども料理教室などを開催している。

実際に発酵調味料を自分で仕込んで、それをお料理に使いこなそうという教室だ。インタビューの日も、酒粕プリンと酒粕クッキーを出してくださった。

“糀エヴァンジェリスト” という資格も保持している。“こうじ”は、麹・糀と漢字表記が二種類あるが、お米のこうじということで糀、エヴァンジェリストとは伝道師という意味。昔ながらの糀を今の世に伝えて、その良さを知ってもらおうということだ。

また、手作り調味料として、おからのお味噌・ポン酢、ケチャップ、柚子胡椒などを作り、それを使ってお料理実習をする。“おから再生プロデューサー” として、ほとんど廃棄されてしまうおからを使ってのお味噌作りは好評だ。

子ども料理教室での、子ども達とのお料理の時間がとても楽しいそうだ。

いずれは実習型の子ども食堂などができれば・・、そして“料理教室にとどまらず、料理を囲んで、地域の憩いの場所として居場所を提供していけたらという夢を持っている。”と話してくれた。

 

 

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池内後記

インタビューの後、気になってご両親様のことをお尋ねした。お父さまは50歳でガンでお亡くなりになったと。そしてお母さまは、華世さんがワンデイレストラン をしていた頃、アシスタントとしてお手伝いしてくださっていたそうだ。

息子さん、お嬢さんも成長した今、華世さんの中にずっとある夢に向かって進んでいかれるんだろうなあ。華世さんが出してくださったプリンも紅茶もとても美味しかったです!

 

 

 

 

プロフィール

西上華世

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西上華世

奈良市と香芝市で大人と子供の料理教室を主宰しています。
麹の発酵調味料をはじめ、世界の発酵料理や旬の恵を閉じ込めた保存食作り、手作り調味料作りなど、「発酵・手作り・旬の物」をテーマに手作りの楽しさ、美味しさをお伝えしています。
子供は4歳から中学生まで、五感に働きかける台所育児を実践しており、料理の楽しさや、生きる原動力を養っていきます。

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聞き手

池内詠子

司会者・キャリアコンサルタント・講師

池内詠子

お天気お姉さんからキャリアをスタート、子育て期を経て司会者として復帰。話し方の指導、コミュニケーション強化の指導をはじめ、キャリアコンサルタントの資格を取得。二人の娘たちはすでに社会人。これからは働く女性たち、ママたちを応援していくのが夢です。表情や話し方、声の出し方で損をすることがないよう、レッスンしています。自信を持って、仕事をし、地域に関わり、子育てを楽しみながら社会で輝く存在になってもらえるようサポートをしていきたいと思っています。趣味は自然の中で、緑の中で過ごすこと。山歩きをしたり、里山の風景を楽しんでいます。美術館を巡ったり、おしゃれ談義をすることも好きです。

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