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赤松邦子

NPO法人パパちから応援隊 理事長

NPO法人パパちから応援隊理事長〜赤松邦子さん〜「子育ち・親育ち」子育て支援のインフルエンサー!

NPO法人パパちから応援隊理事長「子育ち・親育ち」子育て支援のインフルエンサー!なら子育て応援団団長


2019版・BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。

邦子さんのプロフィールのチラシを見たのはいつだったろう。「この方に会いたい!」そう願うも、なかなかチャンスがなかった。そしてようやく会えた!!この日はハロウィン。パンプキンカラーのニットでインタビューの場に。10分後にはもう旧知の仲であったかのように話が弾んでいた。

第17回 なら子育て応援団 団長 赤松邦子さん

邦子さんは、このほど「第10回あしたのなら表彰者」に選出された。これは“特定の分野や年齢、経験年数にとらわれず、奈良のPRや魅力向上に大いに授与する活動や県民に元気や感動を与える活動を行っている個人または団体”に送られるものだそうだ。2010年には全国で15人の第32回母子保健奨励賞も受賞している。

大阪市内に生まれた邦子さん。親戚の子どもたち、近所の子どもたちの面倒を見るのが好き、子どもが好きな子どもだった。

高校に進学する頃には、幼稚園の先生になりたいと思っていたという。より早く夢を叶えたいと4年制大学ではなく短大に進むことを決めていた。短大時代は講義にきちんと出席し、卒業後は大阪市住吉区の私立幼稚園に勤務した。毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったという。当時、讀賣新聞の勤労感謝の日特集に「こんな楽しい思いをしながらお給料をいただける幸せ、子どもたちに感謝」と投稿、採用されたこともあった。

ご主人は高校時代の同級生

ここで、ご主人の話を。

ご主人は高校の同級生、1年生の6月に仲良くなったんだそうだ。小・中学生時代の邦子さんは、同級生と比べると背も高く、学級委員にも選ばれるような姉御肌。いつも頼られる存在で、逆に頼れるような男子は周りにはいなかった。出会ったご主人は、物知りで、知らない知識をたくさん教えてくれる、的を射たアドバイスもしてくれる。周囲の誰もが交際中と認めるカップルではあったけれど、邦子さんにとってはお互いの進学を目指して共に支え合う善きライバルに近かったらしい。テスト結果や成績表を見せ合っていたが、いつもご主人には追いつけなかった。当時から今に到るまで尊敬できる存在なんだそうだ。高校を卒業後、ご主人は京都の大学に進学。大阪にいる邦子さんと京都に下宿するご主人、当時の連絡手段は手紙だった。

二人ともどちらかというと真面目な性格、テスト期間中や教育実習が入ったりすると、会わない期間が長くなることもあった。さらに大学を卒業したご主人の勤務先は東京。そこから約2年間は遠距離恋愛。ほぼ週に一度、彼から届く手紙が待ち遠しくて待ち遠しくて。今もその時にお2人が交わした手紙は大きな缶の中に保存してあるという。「往復書簡集の本でも出す?」とご夫婦で話をしていたこともあるそうだ。

お2人は約9年の交際期間を経て、結婚。幼稚園は3年間勤務し、退職した。当時は当然のいわゆる“寿退社”だ。

 友達も知人もいない千葉県で、薄給の新婚生活。幼稚園に就職することはあきらめて、今まで経験したことのないことをしてみようと考えた。大手食品会社に正社員で採用され、資材管理の仕事をした。男性の居る職場は新鮮だった。売り上げアップに「エイエイオー!」、企業という世界が面白かった。まだ若かった邦子さんは上司や工場勤務のおばさま方にはかわいがられた。

商社に勤務しながら勉強を続けていたご主人は元々の希望だった大阪府教員採用試験に合格。2人でご主人の両親が住む奈良に移り住むことになった。そして平群町の教育委員会や、小学校で、病欠職員の代理として事務の仕事をした。

奈良に戻ってきた邦子さんは、赤ちゃんになかなか恵まれないことを悩むようになる。毎月毎月がっかりの連続、泣いてばかりいたという。そんな邦子さんを見て、ご主人も協力、夫婦で不妊治療に臨んだ。

 

 子育てから子育て支援へ

ご長女を授かるまで4年かかったという。“奇跡の妊娠”と担当医が驚いた。28歳でご長女を、続いて2年後にご次女を出産した。

子ども好きな邦子さん、待望の子育てだ。自分の子どもの成長に関わっていたかったから、6年間、子育てに専念した・・・と、邦子さんは語るが、実際はこの時期に今につながる下地作りが始まっていたのだ!

公園仲間との時間が楽しみで、週に一度、親子で家に集まって、持ち寄りランチをしながら、子育てのこと、夫婦の悩みなどをお喋りしていた。

そんなある日、公園仲間のお母さんが、小学生のお子さんの参観日に、下の子を連れて行くというのを聞いて、「お兄ちゃんの参観日なんだからお兄ちゃんのために行ってあげたら?下の子は私が預かるから。」と提案した。

今の邦子さんの原点がこれなのだ!

下のお嬢さんが幼稚園に上がる1995年頃、“子育て支援”という言葉を聞くようになっていた。「国が子育てをするってどういうことなの?」

一方、邦子さん自身は楽しんだ公園仲間との関わり合いが、マスコミでは“公園デビュー”という言葉で取り上げられ、子育て世帯にとっての大イベントであることを知った。ママたちはそれを不安に感じ、デビューに失敗をし苦しむ人もいること、また公園デビューのための模範洋服などが商業ベースになっていることなどに大変驚いた。

さらに、3歳までは母親が子どもを育てることに専念すべきであり、そうしないと成長に悪影響を及ぼすという、いわゆる“三歳児神話”には科学的根拠はないと厚生労働省が発表したのもこの頃だ。それまでおそらくほとんどの日本の母親たちが信じていたことが覆されたのだ。

「学ばなあかん!」奈良県女性センターや市民講座に通って、子育て支援についてはもちろん、女性学、教育心理学を学び始めた。

そして1998年、子育て支援グループへぐりCO育てネットを立ち上げた。

まず最初に託児事業をシステム化し小学校に話を持っていった。「学校の参観日に下のお子さんの託児をしますよ。」 学校で一部屋提供してもらい子どもたちを預かった。保護者も学校側も喜んだ

さらにママたちのニーズをきいて自分たちで託児付きの講座を開いた。しかも、資格を持っているママに講師を依頼し、自己実現の場にしてもらいたいという仕組みだ。もちろん講師の子ども達も預かる。

30代を対象にした平群町のレディース検診にも託児を付けることを提案し、受診率アップに貢献した。

まさにこの時間だけでも子どもを預かって欲しいというママ達のリクエストに応える託児グループだ。

国の子育て支援政策の動きに合わせて、邦子さんも母親向けにさまざまな支援活動をしてきたが、約10年以上経った頃でも、母親のしんどさはちっとも変わらず、全国の虐待件数は増える一方であることに邦子さんは疑問を感じだした。

「父親が子育てに関われていないからではないだろうか?関わりたくても育児のやり方がわからないからではないだろうか?パパはママの気持ちに寄り添えてるかな?」

それならば、パパに赤ちゃんやママとの関わり方をお伝えしようと『パパセミナー』を主宰。2009年NPO法人パパちから応援隊を始動。

 

 

現在の活動

このセミナーを訪れたパパ、ママはそれぞれ別の部屋に入る。赤ちゃんはパパと一緒だ。赤ちゃんの月齢と発達に応じた遊び方とその意義をパパに学んでもらう。

ワークショップ、座談会では、“産後クライシス” すなわち産後のホルモンバランスにより、ママが不機嫌になりがちだということも知ってもらう。

「いつもこんな大変なことをママはしてくれているんだ。」パパはそう気付く。今日気付いたママへの気持ちを素直に言葉でママに伝えてね、とアドバイスする。

別室のママは赤ちゃんとしばらく離れることで、大変リラックスするという。そしてパパもとても頑張っていることに座談会を通して気付いてもらう。ママは“パパへの惚れ直し作業”をするのだという。2時間の講座が終了すると、いかにパパが楽しんでいたか、泣く赤ちゃんを相手に奮闘していたか”をママに報告してあげる。

このセミナーを続けてきて、わかったことは・・・パパが仕事・育児・家事に疲れていること。ママのご機嫌がどうであるかを常に気にしていること。だから「ママの言うことを聞いておく方が家庭がうまくいくから。なんでもママの言う通りにしていたら大丈夫。」とパパは言う。

“ママが、パパの母親と化し、家事・育児の采配をふるってママの価値観だけで、家庭が動いてしまっている”『ママ王国』だ。これには危険性が潜んでいると邦子さんは語る。ママの顔色や価値観だけで育った子どもがグローバルな視点を持ち、世界で活躍できるはずがない、と。

この活動は約10年になり、ファシリテーターの養成講座も開催してきた。次なる課題は夫婦関係、親子関係の家族丸ごと支援だと考えている。

 

邦子さんが考える子育て支援・・・それは支援しすぎないことだという。本来、主に親がすべきことを祖父母や支援者が取り上げないこと。子育て支援は、すなわち親が親になるための支援だと考える。

邦子さんは、いずれ働きたいママのための講座も開いている。働く準備としてのスキルや保育所探しだけではない。何のために仕事をしたいのか?仕事を始めるメリット、デメリットのシミュレーションはした?働き出す前の今、しておくことは何だろう?そこをしっかり考えてもらうことから始めている。夫から応援してもらえるのか?しっかり夫婦で考えてもらう。家庭が安泰ならばいつでも仕事はできる、一番の理解者になってもらう夫との関係、子どもとの関係をしっかり築いておけば、チャンスがやってきたときには直ぐに動き出せると講座の中で伝えている。

邦子さんが今支援活動をしているのは「自分自身の夫婦関係や親子関係が順風だったからではない、全て、自身の反省からだ。」と語る。

こうしなければいけない、そうでなければならないという“自分の価値観”は結局自分を苦しめるだけだ。若い頃にそのことに気づいていれば、もっとストレス無しで、ご主人や娘さん達との関係を築けたのではないか・・・その反省があるのだという。

この反省は社会に還元したい、今、自分が伝えなければならないんだと、“使命感のあるお節介”をしているのだと語る。

 

 

現在の育休制度に対して質問してみた。

「何もできない・しない・学ばない男性が育休を取ることには反対。それはママを疲れさせるだけ。それだったら、パパがちゃんと定時に帰宅できるようにしてあげることの方が大事!」と苦言を呈した。

赤松邦子さんリンク

赤松邦子さんFacebook

赤松邦子さんHistoryチラシ

内閣府人材ネット登録(奈良県推薦)

赤松邦子さんインスタグラム

NPO法人パパちから応援隊

Facebookパパちから応援隊

 

池内後記

ご主人のご両親様がお隣に住み、ご自身のご両親様は大阪に。それぞれのお父様は施設に入所、双方のご両親のことで時間が取られること、考えることも多いという。

時間を作っては、ジムでダンスを楽しんでいるんだそうだ。趣味は?と尋ねると「生きること!」という答えがかえってきた。本当に生き生きしている!キラキラ輝いている!これが私の邦子さんに抱くイメージだ。

私も子育て時代に邦子さんに出会いたかったな。悩んでいた“あの時”に相談したかったな・・・あ! このインタビューで出会って以降、ちょこちょこ相談に乗っていただいてた!こころ強い存在だ!

プロフィール

赤松邦子

NPO法人パパちから応援隊 理事長

赤松邦子

1959年生まれ 幼稚園教諭を経て結婚。
二人の娘もすでに結婚、現在は夫と二人暮らし。
2016年には初孫も。
1996年-平群町で子育て支援グループ「へぐりCO育てネット」創立。
自治体との協働の先駆けとして注目される。
2005年より-奈良県「なら子育て応援団長」を拝命 
2009年-「NPO法人 パパちから応援隊」理事長を務める。
さまざまな視点から子育て支援事業を展開中。
参加者交流型の講座に力を入れる。

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聞き手

池内詠子

司会者・キャリアコンサルタント・講師

池内詠子

お天気お姉さんからキャリアをスタート、子育て期を経て司会者として復帰。話し方の指導、コミュニケーション強化の指導をはじめ、キャリアコンサルタントの資格を取得。二人の娘たちはすでに社会人。これからは働く女性たち、ママたちを応援していくのが夢です。表情や話し方、声の出し方で損をすることがないよう、レッスンしています。自信を持って、仕事をし、地域に関わり、子育てを楽しみながら社会で輝く存在になってもらえるようサポートをしていきたいと思っています。趣味は自然の中で、緑の中で過ごすこと。山歩きをしたり、里山の風景を楽しんでいます。美術館を巡ったり、おしゃれ談義をすることも好きです。

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