「ママとこどものためのおうちサロン 手とて」十河知子さん
ママたちを楽にしてあげれば家族がハッピー「ママとこどものためのおうちサロン 手とて」
「BLOOMメンバーへのインタビュー企画」今年のインタビュアーは池内詠子。フリーアナウンサー・司会者として様々なジャンルの方々にインタビューをしてきた私、キャリアコンサルタントとしても多くの方々に話を聴いてきた。そんな私が、働く女性たちに仕事の話はもちろん、生き方、家族、心の声、夢、リアルな本音に迫ってみる。
ご自宅で完全紹介制で、子どもとお母さんのための整体院を経営する知子さん。
インタビューは3月末、zoomで行った。
第32回 ママたちを楽にしてあげれば家族がハッピー 十河知子さん
子どもの頃から曲がった事が嫌いで、「自分が正しいことをしていたら、世の中の人はいつか自分のことを認めてくれるのではないか。」そんなことを考える子どもだった。
実際にいじめに遭う事もあった。しかし、あくまでも自分の思う道を行く、「いつか見とけよ!」そんな気持ちでいた。そして高校時代から状況が変わり始めた。「勝った!だから言うたやん!」
中学・高校と柔道部。お父様が柔道家、大学時代には全日本強化選手だったそうな。高校の担任の先生が、お父様の後輩と関わり合いのある方だった。
走り幅跳びの成績が大変よく、ほんとは陸上部に入りたいと考えていたが、お父様が勝手に『娘を頼む!」と柔道部に入部届を提出していた。
高校3年の最後の試合で負傷、鎖骨を骨折、肩が動かなくなってしまった。
看護師を目指す
進学先に選んだのは看護学校。いとこのお姉ちゃんたち2人が看護師だった事もあり、幼稚園の時から看護師になるのが夢。
ところが!看護学校の受験の際に添える診断書に、肩が動かないことを記入すると、国家試験の受験資格がないかもしれないと、全ての看護学校に断られてしまった。
夢にチャレンジする道が閉ざされ、何もやる気が起こらない中、やっぱり医療に関わる仕事をしたいという思いだけはあり、医療事務の専門学校に入学した。
知子さん自身は気持ちの切り替えができないまま入学。ところが、入学してみると想像以上に厳しい学校、落ち込んでいる暇などなかった。そしてそのまま病院に就職、その病院に10年勤務した。
医療事務から柔道整復師へ?
最初の2年は入院事務を担当し、電子カルテが導入される時にリハビリテーション科に異動した。そこで、知子さんにとっての人生の師匠と出会った。
その方は、柔道整復師の先生で、知子さんの肩を治してくれたのだ。それだけではない。先生は、リハビリ科の課長に「こいつを学校に行かせてやってくれ!」と進言、医療事務の仕事をしながら、柔道整復師の学校に行けるよう交渉してくれたのだ。そこから3年間、朝は病院、お昼間は学校、そして夜はまた病院という生活を送った。
とにかくしんどかった!実は眠くて授業は寝ていたこともあった。クラスメートは10代ばかり、知子さんは当時24歳。「先生、姉さんが寝てる!」すると先生は「寝かせといたれ!」と答えていたと後になって知る。
そしてついに、師匠と共に、リハビリ科で柔道整復師として働き始めた。
ところが、5年後、あるドクターのやり方に違和感を覚え、退職した・・・。元来の正義感がゆえ、どうしても我慢できないことがあったのだ。その時、師匠はすでに退職しており、知子さんを守ってくれる人はいなかった。
「医療はサービスじゃないのか・・・・。」
ディズニー、そして開業
サービスを学びたい、サービスと言えばホテルだ、ホテルの最高峰はリッツカールトンだ!最高峰の理念を学びたい!リッツカールトンにアボなしで出かけ、面接してくれ、と訴えた。支配人が丁寧に対応してくれたという。「ホテルの専門学校を卒業している方しか採用はしない。」
しかし、知子さんは諦めなかった。
日本一のサービスと言えば、ディズニーだ!オリエンタルランドで働くことになった。ゲストコントロールの仕事だった。パーク内のご案内、パレードの際の人員整理や安全確保、パーク内では最もきついと言われている仕事だった。
パレードの一番前の通り道の確保もゲストコントロールの大切な仕事、ディズニー内にNOはないとされているが、唯一NOと言える役どころがゲストコントロールなんだそう。知子さんはここでサービスのあり方を学んだ。
途中で上司の推薦もあり、契約社員となった。ここでずっと働こうと思っていた矢先・・・おばあちゃまが体調を崩し、お母様が看護をするようになり、ご家族から帰ってこいと言われ、関西に戻ってきた。
関西に戻ってから、ディズニー時代の上司にUSJで働かないかと誘われた。パーク内で、アンケートをとる仕事、そしてディズニーでの経験も買われてお客様とダンサーの安全を確保する仕事にも就いた。
2009年のある日、九州に移り住んでいた人生の師匠が連絡してきた。師匠の知り合いが大阪で整骨院をオープンすることになり、スタッフとして働いてくれる人材を探していると・・・大阪といえば知子さんだ!
まさか、柔道整復師に戻るとは・・・と思いつつ復職。
元の仕事に戻り、知り合いの紹介で出会ったご主人と2016年に結婚した。ご主人は見た目は強そうだが、中身はひたすら温厚。2017年息子さんを出産した。
ご結婚後に橿原に転居してきていた。哺乳瓶を嫌がる息子さん、母乳の飲ませ方に悩んだ。これまでは、頑張ったら成果が出ていた、でも子育てにおいては何もかもがうまくいかず悩んでばかり。お母さんが抱っこすると泣き止むのに、知子さんが抱いても泣き止まない、線路に飛び込みたくなった瞬間もあった、いわゆる産後うつ。
橿原市で、初めてのお母さんのためのセミナーに参加した。そこで講師を務めていたのが赤松邦子さん(以前に掲載した赤松さんのインタビューはこちら)「今まで、よう頑張ったね、あなたはそのままでいいやん。」この言葉に知子さんは助けられた。あの時、赤松さんのあの言葉がなかったら、死んでいたかもしれない、それほどまでに追い込まれていた。
赤松さんが「家で仕事したらいいやん。」と知子さんの背中を押してくれて、2017年に整体院を開業した。その後2018年に完全紹介制「ママとこどものためのおうちサロン 手とて」とした。
患者さんお一人お一人に合わせて完全オーダー、痛い整体ではなく、メンテナンスを心がけている。知子さん自身の、体がしんどくて眠れない経験も踏まえ、ママの体が楽であれば、家族はハッピー!をコンセプトにし、こどもの発達相談も一緒に受けている。股関節の開き、側湾症などなどの個別相談だ。
知子さんがかつて受講した、橿原市の「初めてのお子さんのためのセミナー」を赤松さんから引き継いで行っているのだという。赤松さんの「パパちから応援隊」ではファシリテーターとして、橿原市のセミナーを担当している。パパちから応援隊の理事になる事も予定されているという。
知子さんの人生を助けてくれた2人、柔道整復師の師匠と赤松さんの存在は実に大きい。知子さん自身も、自分の仕事や存在が人を変えられるきっかけになれば嬉しいと考えている。「体のメンテナンスのことしかできないけれど、ママが楽になるだけで、それだけでいいやん!」と知子さん。
いつか、みんなが集える場所、老いも若きも、行き場所がない人も立ち寄れる第二の実家を作るのが夢、そう語ってくれた。
十河知子さんリンク
Facebook https://m.facebook.com/sogo.san
整体院は完全紹介制、お問い合わせは上記Facebook、メッセンジャーもしくは公式LINEから。
池内後記
知子さんの整体院の院長は息子くんだ!かつて育児に悩んだ知子さんは、ママと子どものための整体院とした。子育て真っ最中の彼女の気持ちや、意気込みを感じた。整体院を営む自分と、子育てをする自分のバランスを図りながら、息子くんの成長を見守っているんだろうな。知子さんの整体院を訪れるママたちは、そこでリラックスし、心身共に癒され、また日々の子育てや仕事に頑張れる。知子さん!いい存在だね!かつての人生の師匠、赤松さんのような存在に、きっとなる、もしかしたらもうなっているのかも!